将来世代にしわ寄せせずに 年金 制度を維持するため、 支給額 は着実に抑制されていくべきと言われてきました。2015年には経済状況に応じて年金を自動的に削るマクロ経済スライドの実施もありました。将来はさらに削られているであろう年金で、私たちは暮らしていけるのでしょうか。
年金支給額の範囲内で暮らせる生活のために考えること
積立金の取り崩しで支給し続けてきた年金
少子高齢化の進展や長寿命化などに対応し、年金制度を維持するため、物価上昇率に応じて支給額を自動的に調整する制度が2004年に導入されました。それがマクロ経済スライドです。
ところが、長きデフレ経済のトンネルから抜け出せない状況が続いたため、実際にはこれまで一度も発動されることはありませんでした。
しかし、アベノミクスの経済効果で消費者物価の上昇を見た2015年、ようやく初の実施に至ります。しかしすでにこの間、マクロ経済スライドを実施していた場合との差額が7兆円にも達し、それはすべてこれまでの年金積立金から捻出されました。
そして今年2016年、昨年夏を基点とした様々な海外要因による消費者物価の低迷で、またもやマクロ経済スライドが実施されない見込みとなりました。
このまま日本がデフレのトンネルに再突入するような事態になれば、もっと別の調整機能を設けない限り、将来世代に不利益をもたらすことになりかねません。
給付開始年齢の引き上げ
こうした状況への対策としてはじめられているのが年金の給付開始年齢の60歳から65歳への引き上げです。そして将来的にはこれを70歳まで引き上げるべきという意見まで出ています。
これに連動する形で、企業の定年も65歳まで延長することが義務付けられました。国は公的年金の扶養能力の不足を企業や個々人の責任で補うように導きはじめており、今後は年金だけをあてにしていると、受給開始年齢までの間、収入の空白期間を作ってしまう恐れがあります。
生活レベルの基準は現役時代に作られる
将来的に支給額が抑制されていくことが確実とはいえ、年金収入は退職後の暮らしを支える大きな柱です。それによって収入と支出のバランスを取っていけるのかどうかが最も不安なところです。
そこで考えるべきなのが、支出サイド、つまり生活コストです。年金生活に入った時点で十分な蓄えがある場合を除けば、基本的には貯蓄からの取り崩しを最小限に抑えながら、年金の支給額の範囲で生活できることが理想です。
しかし実質的な必要最低限の生活コストと、その世帯が最低限必要と感じる生活コストにはギャップがあります。
それは個々の事情により異なりますが、たとえばすでに住宅ローンが終了した持ち家に住んでいるなら、基本的に必要なのは、税金、水道光熱費、食費、被服費、交際・娯楽費となります。
問題なのはこれらの必要コストの設定が高い世帯です。たとえば、ファッションにこだわりがあるかないかだけで、被服費は相当変わってきますし、食材の品質にこだわれば食費が高くなります。
その生活スタイルや生活レベルは当然のことながら現役時代に形成されるもので、これを年金生活開始と同時に変えることは容易なことではありません。リタイアの年齢が視野に入ってきた時点で、一度生活レベルを見直し、ソフトランディングさせていく努力をする必要があります。
惰性や面倒くさいとの決別
年金制度は破綻しない、100年後も維持する、こうした言葉を鵜呑みにできるほどいまは単純な社会ではなくなってしまいました。もちろん、明るい未来が開ける可能性もありますが、できる備えをしておくに越したことはありません。
それはいきなり乗用車を高級車から軽自動車に変えるようなことではなく、たとえば自動車保険をネット型に変えたり電気の契約プランを見直すといった、表向きには見えないことからはじめていくことが肝心です。
節約したり無駄をなくしたりする努力は、やってみると結構面倒くさいものです。しかし生活をサイズダウンし、コンパクトにしていくことは引退後一番の生活防衛になります。まずはいままでのライフスタイルのなかの惰性や面倒くさがりを断捨離することからはじめるべきでしょう。
まとめ
年金支給額の範囲内で暮らせる生活のために考えること
積立金の取り崩しで支給し続けてきた年金
給付開始年齢の引き上げ
生活レベルの基準は現役時代に作られる
惰性や面倒くさいとの決別