落語は江戸時代から続く日本の古典演芸の一つです。今では、あまりメジャーな演芸ではなくなりましたが、昭和40年代ぐらいまでは、演芸場を中心に人気の芸能でした。そこには単に観客を笑わせるだけでない、時には泣かせるなど人の情をくすぐる奥深い芸があります。
今回は 落語家 についてご紹介いたします。
日本の伝統演芸 落語とそれを語る落語家とは
現在のお笑いと落語の大きな違いは何か
現在は演芸ブームと言ってよいでしょう。テレビをつければ、ドラマ、ニュースでない限り、バラエティー番組、クイズ番組など、そこには必ずお笑い芸人が出演しています。ピン芸人であったり、コンビ、トリオなどその形態は様々ですが、お笑い芸人の出ていない番組はないでしょう。
テレビでは、リポーターやクイズの回答者、コメンテーターなどで出演しているので本来の芸をあまりみることはありませんが、寄席や演芸場、地方のショーなどでは見られます。そして、その形態はさまざまです。
昔ながらのコント、漫才もありますが、それ以外に映像を使ったり、リズム芸と称し音楽にのせて歌とダンスで楽しませるものなど千差万別です。
そして、これらのネタに共通するのが、それを演じる芸人と一体のものだということです。つまりその芸人だけのネタで合って、他の芸人が演ずればパクリになります。
しかし、落語の世界、特に古典落語の世界は違っています。ネタは万人のものであって、同じネタを複数の落語家が演じてみせます。
したがって、同じネタで他の落語家にない独自の世界をつくり、観客を魅了することがその落語家の腕の見せ所となります。
また、今のお笑いは、総じて時間が短いのに対して、落語は一つのネタで30分ぐらいは当たり前ですし、中には1時間ぐらいのものもあります。それだけの時間、ひとりで観客を飽きさせることなく楽しませるのは並大抵のことではないでしょう。
落語家は現代の芸人よりはミュージシャンに近い存在かもしれない
同じネタを複数の落語家が演じると同時に、同じネタを同じ落語家が何度も口座で披露するわけですから当然、初めて聴く観客ばかりではありません。そんな観客を楽しませるのが落語家の芸の力です。
「あの落語家のあのネタをもう一度聴きたい」と思われるようになれば一人前です。確かに、寄席などではその落語家が高座に上がるとお得意のネタのリクエストの声がかかるということもあります。そういう意味ではミュージシャンに似ているかも知れません。
ミュージシャンはコンサートで初めての曲を披露するのではなく、みんなが良く知っているヒット曲を歌うことで楽しませるのですから同じようなことです。
落語というとお笑いというイメージがありますが、滑稽噺の対極にあるのが人情噺です。今の演芸にはない世界がこの人情噺の世界です。人情とは情け、人への思いやりといった意味があります。
人情を主題にした一つのドラマを一人の落語家が語って聴かせ観客の心を魅了す、時には泣かせることもあります。そういう意味でもミュージシャンと言えるのではないでしょうか。
落語の楽しみ方
落語の楽しみ方は、それを語る落語家の演出と演技力を楽しむことです。実際、同じネタでも演じる落語家が違えば、楽しみのポイントが変わってきます。昭和の名人 八代目 桂文楽の落語はリズミカルな語りで、人の情の機微や江戸っ子の粋を聴く楽しさがありました。
一方で、同時代の五代目 古今亭志ん生は同じネタでも、出たとこ勝負で毎回のようにその運びが違っていたり、現実離れしたギャグで奇想天外な笑いを生みだしたりするところに楽しさがありました。
同じネタでこうした違いを聴き比べてみるのも落語の楽しみの一つです。また、それ以外に、それぞれの落語家が十八番といわれる得意のネタを持っているのでそれを聴くのも楽しいものです。
今でも聴ける昭和の落語家の名人芸
こうした落語の醍醐味は昭和時代に活躍した今は亡き落語家たちの噺を聴けば良くわかります。文楽、志ん生、圓生、小さん…この時代の落語家の名演は今でも録音で多く残されています。映像で残っているものは少ないですが、録音だけでも当時の落語家の芸は十分に伝わってきます。
特にライブ録音のものでは、その臨場感が味わえますし、笑ったり、感動させられたり、今聴いても十分に堪能できます。名作落語を一流の落語家が語った名演はどんな時代にも色あせることないものだと思います。
まとめ
日本の伝統演芸 落語とそれを語る落語家とは
現在のお笑いと落語の大きな違いは何か
落語家は現代の芸人よりはミュージシャンに近い存在かもしれない
落語の楽しみ方
今でも聴ける昭和の落語家の名人芸